あの未曾有の東日本大震災から二周年を迎えた。今年の冬は寒く、雪も多い年であったが、このところのみちのく仙台は、春の陽気で暖かい日が続いている。思い起こせばあの震災の日は特に寒く、雪が舞い、津波で海水に濡れた人々は、寒さに震え、暖かいお茶を飲みたい、着替えが欲しいと避難所で叫んでいたあの声が耳元に残って今でも離れない。
仙台の地元紙「河北新報」を見ると、毎日震災の死亡者数が掲載されている。二周年の本日(2013.3.11)の数字を見ると
shinsai_ooyakaiganshisai_minamisanriku宮城県 9535人(1302人)
岩手県 4673人(1151人)
福島県 1606人(211人)
全国  15881人(2668人)
括弧は、行方不明者数である。

(1)震災関連死
3回忌を迎え、行方不明者がこんなにも多くいることに胸が痛む。しかし、この数字に集約されない「震災関連死」がある。この震災関連死とは、震災後、避難生活のストレスや持病の悪化などで体調を崩し、無くなるケースである。復興庁のまとめによると、その数は2,303人となっている。
この震災関連死を含めると、実に犠牲者は20,852人となる。この震災関連死は、津波や建物の倒壊などによる「直接死」とは区別される。県や市町村が設置した医師や弁護士ら専門家による審査会が震災との因果関係を判断し、認定されると、災害弔慰金が支払われる仕組みだ。
震災や原発事故で仕事を失い、更には自宅のローンなどで悩み、自ら命を絶つ人も多い。最近は、復興から取り残されていると真剣に考える人が増えている。
震災死亡者数は、公表された数だけではなく、この震災関連死も忘れてはならない。

(2)震災への風化
震災から2年という歳月が過ぎ、確かに仙台駅周辺の中心部では、もう震災の面影はどこにも見当たらない。首都圏の友人などと話をすると「東北は復興したんじゃない?」などと耳にする。実際は、とんでも無い話で、復興は遅々として進んでいない。
一時期、日本人の誰もが「絆」を口にしていた。残念なことに確かに風化は進んでいる。風化とは、薄れ行く記憶のことを言うのである。
ちなみに最近は、「アベノミクス」や日経平均株価が2008年9月のリーマン・ショク時を4年6ヶ月ぶりに超え、更には円相場が1ドル96円台をつけ、世の中が浮かれ気味だ。中国からの2.5PMの大気汚染ニュースで放射能汚染問題も陰が薄い。
しかし、仙台、石巻、三陸などの海岸地帯に足を一歩踏み入れてみて欲しい。確かにガレキは片付いているが、荒涼とした枯葉の平野が広がり、今年も稲作はダメだろうと農家は嘆いている。これが津波被災地の現場の実情だ。

(3)架設住宅の不思議
厚生労働省の規則では、架設住宅の入居は、原則2年と定めているが、震災から2年を経過した現在は、3年としている架設住宅の入居期限を更に「4年」に延長する方針と言われる。
最近、仙台、石巻などの架設住宅で空き家が多く自治会長などから「回覧板が回らない」「防犯上も問題だ」などと入居率の低下を懸念する声が相次いでいる。
自宅再建をする人が増えるにつれて、交通が不便な地区の架設住宅は、「歯抜け」状態が目立ち始めている。こんな状態が長く続けば、高齢者や低所得者など弱い立場の住民が取り残されれば、孤独死にもつながりかねないと心配する声も多い。
一方、これらの地区では、大規模半壊や半壊認定の自宅を取り壊す人が増えている。今年度中に解体しなければ再建支援金が受けえられなくなることからの駆け込みで自宅を解体する人が多い。これにより、逆に石巻などでは、アクセスの良い場所に、希望する約100世帯が入居待ちという皮肉な結果となっているそうだ。
また、実際に引越しはしたものの、架設住宅を物置などとして使うなどして明け渡さない人も多いと見られる。その証拠に、夜になっても電灯の明かりが何日もつかない架設住宅があり、統計上の数字以上に空き家が目立つのも事実であろう。

(4)災害公営住宅(復興住宅)の岐路
自己資金がある人や、まだ若く且つ有職者はローンで資金の調達を行い、行政の動きは遅くてもう待てないといい、自力で自宅の再建を行う世帯も見られる。
行政から災害危険区域と指定になれば、家を建てられないはずなのだが、不思議なことにポツリ、ポツリと家が建ち始めている。良くしらべてみると、建築中の方々に直接聞いてみると行政が「将来は移転する」という条件付で建築を許可してくれたとの話だ。
これは災害公営住宅の建設が遅々として進まず、着工率はまだ6%なそうだ。
最大被害の石巻での災害公営住宅は、約4000戸が必要であるが、その計画策定も終了していない現状だ。
これは、住民の合意形成や用地確保不足、国の交付金決定の遅れなどが原因である。
しかし、「復興住宅の入居希望者は高齢者が多く、将来は空き家が増えるのは確実」と心配している自治体もある。まさに岐路に立つ復興住宅だ。

(5)被災者生活再建支援金の返還問題
最近、宮城県気仙沼市の一部地域で東日本大震災の被災者に支給される生活再建支援金制度をめぐり、支給された支援金返還問題が起きている。
この生活支援金制度とは、住宅の被害程度に応じて支給する支援金で全壊は100万円、大規模半壊は50万円で且つ住宅の再建方法に応じて、加算支援金(建設・購入200万円、補修 100万円)が支給される。
ところが気仙沼の当該地区は、市の手続きミスで実際の被害を上回る全壊の認定をし、支援金を多く支給していたことが後で判明した。このためその超過分分を変換せよとの問題である。多い人は300万円も有り、既に自宅を購入した人もおり、返還するにも現金は使ってしまい、もう無いと途方にくれている。
このような罹災証明書の発行ミスでは、仙台市太白区の民間マンションでも同様な大きな問題となっている。

(6)病院、医院、診療所が満員
インフルエンザそれに花粉症、さらには中国からの2.5PM大気汚染と今年は、医師にかかる人が多い。これに輪を掛けているのが、この3月31日で一定の被災者に対する「健康保険一部負担金免除」が廃止されるからである。
所謂、駆け込み診療で、廃止になる前にかかりつけ医から薬などを早めにもらっておこうとの患者が多いことだ。どこの病院も満員で待ち時間が長くなっている。
更に学校が卒業期で休み入ったことなども大いに影響しているようだ。
介護保険も同様打ち切りなので、被災者で介護高齢者の負担は大変なようだ。
しかしこの制度も満2年間、無償で保障してきたことでもあり、そろそろ潮時でもあるとの声も聞かれ一長一短の問題だ。

あの日から2年が経過した。大津波に耐えて唯一残りながらも枯死し、復元が進められていた陸前高田市「奇跡の一本松」が防腐処理をほどこされて再びレプリカとして再現した。希望をつなぐ一本松として、末永く今後も「被災から立ち直ろうとする市民を励まして欲しい」と思う。 しかしながら、被災者の苦悩は終わることなく続き、福島第一原子力発電所事故も廃炉が決まったとはいえ、解決には30〜40年後とは気が遠くなる。原発事故の影響で、福島県から約6万2千人の人々が県外に避難している。まさに流浪の民ではないか。
原因を作った東京電力の責任はもちろん、原子力規制委員会や政権に復権した安倍政権に消費者目線でのスピードある取り組みを期待したい。
(NACS東北支部 2013.3.11 記)

被災地の現状(南三陸町)

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商店街の復興(南三陸町)

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町内会除染作業(福島)

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